第9回応募42
さはまだまなみ様
エピソード内容
雪 第一子を出産し、育児休業を取って半年ほどたった頃のことだった。それまで忙しく勤めていた自分が、まだ言葉も話せないふにゃふにゃした生き物と一日中家に閉じ込められ社会から取り残されている、そんな窮屈な気持ちに押しつぶされそうになっていた。なんとなく魚でも見てみようと水族館に出かけ、そのまま遠出でもしていようか、と水族館の隣にあるフェリー乗り場に向かった。車を船に乗せて向かったのは桜島である。鹿児島市内と桜島はフェリーで約十五分。私は娘を抱き、甲板から桜島を眺めた。冷たい風が吹きつける中、大きく雄大な桜島が、近づくにつれて不思議と小さくなっていくように感じるのが面白く、ずっと眺めていた。車で船から降り、さてこれからどこへ行こうかと思案する。
一度も行ったことがない道を行こう、と決意すると、私は道路地図を広げ目的地を決めた。当時私の車はナビなどつけておらず、どこへ行くにも県内地図を利用していた。輝北というところへ行ってみよう、と決めた。そこは星がとてもきれいに見えるので地元ではよく聞く地名だった。しかし、目的地に着くまでの間私は恐怖を感じることになる。道は次第に細くなり、すれ違う車もいなくなった。後部座席で娘はすやすや眠っていたが、私は次第に焦りを感じ始めていた。予定していた時間になってもいっこうに目的地にはたどり着けない。地図では近く感じられたが、くねくねと曲がりくねった道は一筋縄ではいかなかった。明かりもない山道を進むうちに、ガソリンは少なくなり、携帯電話の電波が途切れた。このまま山道で車が止まってしまったら凍え死ぬかもしれない……。一人だったなら泣き出していたかもしれないが、赤ん坊のためにも何としてもたどり着かなければ、という思いでただ標識を信じて突き進んだ。
予定の三倍もの時間が過ぎ、ようやく輝北に着いた頃、辺りはもう真っ暗であった。心底ほっとしながら娘を抱いて天文台のある場所へ向かった。
見たこともないほど真っ暗な闇の中、見たこともないほどたくさんの星空が広がっていた。おそらくそこへ向かう道中も星空は広がっていたのだろうが、車を降りてやっとその景色が目に入ってきたのである。久しぶりに息を吸ったような気分になった。思えば出産してからいつも自分が何かに縛られているような気持ちでいた気がする。だが、よく考えてみると、私はいつも自由だったはずだ。
辛いとき、恐れがあるとき、孤独を感じた時、人は盲目になるのではないだろうか。見えないだけでそこに星はいつも輝いているというのに。
携帯電話を見るとかろうじて電波が入っていた。私は家族に所在を告げると、車に乗り込んだ。とりあえずガソリンスタンドに向かおう。そして、のんびり家までドライブだ。大丈夫。道は家まで続いている。
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